~ ウキウキ☆RaiseMeUp 内なる炎を燃やす魂実験房 ~
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2011年12月16日 (金) | 編集 |
前回の「ラドりんの似顔絵屋さん」のモニタリングで、新しいご縁を沢山いただき、そのご縁を通じてまた新たに出会いに恵まれたりして、人との関係が大きく動いているのを感じています。
遊んで下さる皆様、ありがとうございます~(^人^)
今はメインの交流場所は主にツイッター上ですが、ツイッターってフォロワー同士のやり取りはオープンだから、あんま深い話とかはやりづらい環境であることは否めませんな。1対1ならDMでいいんだけれども……
しかしアカウント分けて顔を使い分けるとかいう繊細さは持ち合わせておらず……使い分けはネットとリアルの間だけで充分だよという感じで、ブログ同様やりたいようにぶっちゃけて行く方針です。

思えば、このブログ初のオフ会は、ナマで似顔絵屋さんをやりたいという理由で、2007年の今ぐらいの時期に、忘年会と言う名目で開いたんでしたよ。
そう考えると、「ラドりんの似顔絵屋さん」って、対人スキルに難ありな私に与えられた貴重な一発芸と言うか……
人脈拡張ツールになってくれているのだなぁという思いがします。

で、仕事も以前のような無茶なスケジュールではなくなって、ゆとりが持てるようになったのもあり、オフのイベントにもちょいちょいお邪魔をするようになりまして、このブログをご存じない方にも似顔絵を描かせていただく機会が出てきました。
そうすると、やっぱり、口で説明する必要があるわけで。ラドりんとの馴れ初めから、似顔絵に至る経緯など。
以前に増して、ラドりんとみしゅろんとは何ぞや?と考えるようになるというか、話しながら「そういえばそんなことも」とか振り返ったりして。

で、ひとつ気がついたのは、ネット上で似顔絵屋さんをやったり、ラドりんが他の誰かのおうちに現れて「ラドりん来てたっぽい」と言われた時など、異常に眠くなるのに、対面で似顔絵屋さんをやる分にはまったく平気なのは、ラドりんが私から離れるせいで眠くなるんじゃないか……と思いまして。
うーん、そうすると、ラドりん=私の生霊……みたいな?(まあ、今までも自分の一部と思ってはいましたけど)

えーと……
もしラドりんがうっかりお邪魔しても即座には調伏しないでやって下さい
(^_^;)
ほっときゃ数分で退散するはずですんで……あとブラックラドりんは人間様のお宅へはお邪魔することはないと思いますんで……(何のアナウンスだ)
いや生霊飛ばさないよう律するのが本来のアレだろうとは思いますがね。それって……どうやるんだろうかね……?






話を似顔絵に戻しますけど、先日もスピリチュアル系のお話会的な集まりにお邪魔をしまして、宴会芸っぽく似顔絵を描かせていただきまして。
10枚くらい描いたでしょうかね……?でもやっぱり対面だから全然疲労も眠気もないんですよね。

その中のお1人に、カトリックを信仰している方がいらっしゃいました。
似顔絵に興味は持っていただけたのだけれども、信仰との兼ね合いはいかがなものでしょうか?とご質問をいただき、一瞬「うっ」とひるみました。
普段お気楽に天使さんズをネタにしているわりに、キリスト教上の教えなどについてはさっぱりですからして。あたくしの天使さんズに関する情報ソースはメガテンとウィキペディアとドリーンバーチューどまりですからして。
しかし一瞬ひるんだものの、自分にしては割と冷静に、自分の思うところをご説明した……ように思います。とは言えやっぱり割と必死だったのか、あとから思い返してどういう説明したのか正確には覚えてないけど(ダメじゃん)


まず、似顔絵を描く意義ってなんなのかっていうと、本来形のないエネルギーを可視化することで、人間側が意識を向けやすくなる、ということ。
そして、そのエネルギーは、「今、アクセスするのに適している存在」、つまり意識を向けることで何かがスムーズになるかもしれないエネルギーが対象である、と定義しているということ。
代表的なのが、高次からの視点を持ち、自らを客観的に見ることの出来る「ハイヤーセルフ」というエネルギー。

更に、可視化されたエネルギーは、おそらく「多面体」であり、似顔絵はそのうちの1側面をあらわすものなので、仮に信仰の対象を描いたとして、今まで感じていた信仰の対象への印象とは別の側面を描く可能性はあるということ。

似顔絵で可視化するということは、ファイルやアプリにショートカットを作成するようなもので、似顔絵自体にエネルギーが入るとかいうこともなく、崇める対象にするものでもないので、描いたものを受け取らないかすぐ処分したとしても、まったく問題はないこと。

過去に、対象を強く思い描きすぎた為に、うまく似顔絵にならなかったケースはあることはあったけれども、めったにないレアケースであり、その場合も絵が下手になるだけのことなので、その場合は「無理っぽいですね~」で済まさせていただく、ということ(一応ラドりん的には、描く相手が明確にイメージされている場合は、そのイメージに沿わせる意向なんだけど、それがアダになったのがそのレアケースであったらしい)

……おおむね以上のようなことを、とっ散らかりつつも、かいつまんでご説明したように思います。


結局無事(?)似顔絵をお渡しすることが出来ました。
皆さんそれぞれ、面白がっていただけたようなので何よりでした。

それにしても今回初めて、きちんとした信仰をお持ちの方と似顔絵の話をすることになったということは、何か示唆的というか……
もっと勉強せいよということかなぁ……と思わされたのでした。
そもそも、そんなちゃんと信仰対象を持った方に、興味持ってもらえるもんとは思っていなかったし。
そういう方がこういう得体のしれないワークにも関わらず、真摯に話を聞いて下さったので、私としても改めて向き合い直すいいきっかけになりました。ありがとうございます(読んでいないと思うけどw)

今まで、似顔絵の相手が誰かということは、実は割と二の次であって、その人がこの地球上でたった1人で生きているのではなくて、誰かしら見守っている存在はいるのだということ(それが別の視点を持った自分自身であったとしても)を意識することで、多少なりとも心が安らぐことが似顔絵の目的と思っていたので、宗教との関わりなどは考えていなかったというか、目を向けることを避ける節はあったかもしれない。
しかし仮にも天使たちと関わったりするのであれば、その宗教的歴史などは無視できないかもしれないなぁ(人間の集合意識に刻まれているだろうし)なんて思ったりしたのでした。

聖書でも読めってか……うーむ。
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